約束 03話



 テレビで彼を見てから、私の中の『誰か』が彼の名前を叫ぶ。
 それは酷く悲しげな声で、私の胸が張り裂けそうだった。
 彼の名を呟いた私は、そのまま意識を手放した。



 目を覚ますと、体にかかっていた布団がパサッと落ちた。
「あ、起きた?」
「お母さん…?」
 体を起こすと、ふすまがあいて、お母さんの顔が見えた。
 気を失って、そのままソファーに寝ていたらしい。
「もう、心配したのよ」
 何回も顔を見にきてくれたのかな。
 お母さんは私のおでこに手を当てて熱がないかをみてから、ホッとしたように笑った。
「お母さん1人じゃ部屋にまで運べないから、そのまま寝かせたのよ」
「うん…ごめんね」
「テレビがどうかしたの?」
「ううん。なんでもないよ」
 まさか、テレビに映っていた人を見て…なんて言えなくて、笑って誤魔化した。
「キン肉マンさんが出ていたから、事故の事思い出したのかと思ったわ」
「え!? キンちゃん出てたの!?」
「あなた…何を見てたの?」
 呆れた目に見るお母さんに、笑って誤魔化す。
 ごめんね。キンちゃん。
 キンちゃん…ことキン肉マンは、私の命の恩人。
 事故が起こって、血だらけの私を病院へと運んでくれたのはキンちゃんだった。彼も子どもだったけど、私よりいくつか年上で、すでに『人のために』という心を持っていた超人だった。
 彼があの場所にいなければ、私の命は助からなかったかも知れない。
 それから、キンちゃんは何かと私を気にしてくれていて、引越ししてからも手紙をくれたりしている。
 最近また、昔住んでいた家に戻ってきたんだけどね。
 それからは前みたいに、一緒にご飯食べたりしている。キンちゃんの弟みたいなミートくんも一緒に。
 手紙にも書いてあったけど、キンちゃんは自分にもお父さんとお母さんがいたって事を本当に嬉しそうに話してくれた。
 私達家族はずっとキンちゃんを応援している。
 それなのに、キンちゃんじゃなくて、別の人を見ていたなんて。
 あれ? 決勝戦って事は、キンちゃんとあの人が戦うって事だよね?
「お…お母さん!!」
「な…なに? 急に大きな声出さないでちょうだい。ビックリするじゃない」
 私の声に驚いたらしいお母さんが、胸を押さえるふりをしながら言う。
 そんなに驚くような声だったかなぁ~?
 首を傾げながらも、聞きたい事はきちんと聞く。
「キンちゃんの対戦相手って誰?」
「あなた、本当にテレビ見てたの?」
「見てなかったから、聞いているんでしょ」
「倒れたくせに、何を偉そうに言っているのよ」
「良いから教えてよ」
「体は大丈夫なの?」
「うん。平気。だから…」
「ウォーズマンよ」
「ウォーズマン…」
「ちょっと、本当に体は大丈夫なの? 顔色悪いわよ。
 大丈夫。そう言って笑って私は部屋に戻った。
 ベッドに横になり、目を閉じる。




 キンちゃんの試合を見に行こう。キンちゃんと戦っている彼をみて、何かが分かるかも知れない。
 私の中にいる何かがそう思った。



 初めて見る超人の試合は、周りの観客に圧倒されて、ただリングを見つめるしかなかった。
 リングの中央にいるのがキンちゃんと、対戦相手のウォーズマン。
 キンちゃんのマスクが引き裂かれて、見えた髪の毛。
 なおも襲いかかるウォーズマン。
 違う…。
 『彼』はこんな風に戦った事がない。
 相手の命を奪うような戦い方はしなかった。
 キンちゃんが攻撃を受けている。その度に『彼』も傷ついているような気がする。
 どうしてだろう?
 わからないけど、そんな気がしたんだ。
 リング周辺の声は分からないけど、女の子が彼に何かを言っている。
 そんな彼女の姿に胸が痛む。
 どうして胸が痛いの? 私はキンちゃんを応援しているのに。
 この決勝戦は負けた方がマスクをとられ、素顔がさらされると言うのに…。
「キンちゃん…」
 胸の前で手を組んで呟く。
 どうか、キンちゃん。
 あの人の心をとかして…。

 会場がざわつき、周りを見ると、観客達はリングを指差し何やら言っている。
 私も急いでリングをみると、キンちゃんの背中に乗って技をかけていた対戦相手の体から、煙が上がっている。
 見覚えのあるマスク…。どこで見た覚えがあるんだろう?
 そのマスクにひびがはいり、両手でマスクを押さえた隙に、キンちゃんの技がかかった。
 アナウンサーの声が響き、キンちゃんの勝利を知らせる。

 勝者が敗者のマスクに手をかける時、彼は喋った。
 リング上にいるキンちゃんも、その周りにいる人達もアナウンサーも観客達も驚き、次に彼が言おうとしている言葉を待つ。
 その時、ポツンと頬に当たるしずく。
 ポツポツと降っていた雨がすぐに土砂降りになる。
 まるで、彼の涙のように…。

 彼の手がマスクを取り、その素顔を現す。

「ウォズ!!」
 思わず出た名前。
 そんな言い方した事もなかったのに。
 だけど、彼を見たら、すぐにその名前が言葉にでた。
 不気味だといってその素顔を嫌っていた人…。だけど『私』はそんな彼が好きだった。 
 脳裏に浮かぶのは『私』の作った布製のマスクをかぶる人。
 だけど、彼にはそんな布じゃなくて、もっと似合うものがあるって探していた。
『ああ…。やっぱりウォズに…にあう…ね…』
 そうだ。あの漆黒のマスクを彼は付けてくれた。その姿を見たのが『私』の最後だったんだ…。





 キンちゃんがウォーズマンの顔にマスク戻し、会場は静まり返る。
 あんに降っていた雨はすぐに止み、誰もがキンちゃんとウォーズマンの健闘を称えた。
 拍手がリング上の二人を包みこみ、体に纏わりつく濡れた服の感触も気にならなかった。私もそんな会場と一緒になって手を叩き、涙を流した。
 これはどんな涙なんだろう?
 キンちゃんが勝って良かったという涙なのか、それとも、夢に見た人が現れたという涙なのか、分からなかったけど、ただ、手を叩き涙を流していた。




 興奮冷めきらない会場は、出るのも一苦労だ。
 もみ合いになるのは嫌だったから、落ち着いて出られるように人が空くなるなるのを待った。
 焦って外に出る事もないしね。
 キンちゃんに「おめでとう」って言うのは明日でもいいよね。彼の家に行けば会えるんだし。うん。そうしようっと。
 すぐに止んだとは言っても、雨に濡れたままじゃ風邪をひいちゃうし、家に帰ってお風呂に入ろう。
 そんな事を思って待っているうちに、満員だった会場には人はまばらになっていた。これならゆっくり出れる。
 同じ事を考えていたらしい人達と一緒に国立競技場を後にする。
 駅までの道を歩いていると、目の前にさっきまで戦っていた人が子どもの前にしゃがんでいた。
「あ…」
 待って私。何を言うの? 彼は私の事を知らないのよ。
 夢で会ってましたとか言うつもり!? 怪しい人じゃない。それじゃ!!
 思わず、建物の陰に隠れて様子を見てしまう。
 これじゃ本当に怪しい人だわ。
 そんな私の様子に気付いていない様子で彼は子どもと握手をしていた。
 嬉しそうにお礼を言う子どもと、ひび割れたマスクをしていても分かる彼の嬉しそうな雰囲気。
 その後、彼はセコンドについていた超人…確かロビンマスク…と何か話して、ロビンマスクの後を付いて行く。
 行ってしまう。
 待って、行かないで。
 そうだ。彼は名前を呼ぶといつも振り返って笑ってくれる。
 呼べばいいんだ。彼の名を。
「ウォズ!!」
 思わず呼んだ名前に、彼は驚いたように振り返り、私を見て笑ってくれた。
 私の名前じゃないけど、でも私を呼んでくれた…そんなふうに思えたんだ。